そこで「生気」とは何かということになりますが、これは「万物を生み出すもの」であり、別名を「地霊」ともいわれている大地の偉大なエネルギーのことです。
この生気が盛んであれば、山脈は蜿蜒と起伏して、あたかも躍動する龍身を思わせる姿になるわけです。また水脈も同じようにクネクネと蛇行しているなら、生き生きとした龍身を想像することになります。
これは「有諸内而形於外」つまり、万物が内に宿すもろもろの働きや性質は、その外面の姿形に現われるという中国タオイズムの立場であるといえましょう。
風水学では「勢・形・気」の三原則にのっとって、山脈や河流、または室内の間取りや配置などを観察していきます。
「占山の法は勢をもって難となし、形はこれに次ぎ、方はまたこれに次ぐ」とあります。その言葉通りに風水判断の難易度は勢・形・気(方位)の順になると考えて下さい。
目にしたときに感じるものが「勢い」
第一に「勢」とは外観から、パワー、力量を感じ取ることと言ったらよいでしょうか。
人と会ったとき、その人に対して感じるものがあります。元気だな、明朗だな、または弱々しいな、暗いなといったその人の印象が「勢い」になります。
言い換えるなら、その人の目に見えない運気、才能、性格、健康等々の状態が「勢い」として感じられるものなのです。これが実は一番、大事なのです。
補足するなら、「形」を成す以前のものに対して何らかのある種の勢いの強いか弱いかを感じ取るということです。これが最も難しいのです。
普通はだいたい外見に惑わされてしまうからです。
「形」を看る
第二に「形」とは形状、形態であり、平たく言えば姿、形です。この形を見るには「五星図」や「九星図」(後ほどふれます)に照らして分類することができるほか、いろいろなものに類似、酷似しているかという造形的な感性が必要になります。
それに加えて、想像力を逞しくしなければなりません。
「あの山は鍋を逆さにしたみたいだ」 または 「牛が寝そべった姿に似ている」 というふうに最もよく似た形を思い浮かべられるなら判断しやすいのですが、思い浮かばない場合もあります。
それも客観的な視点に立ってのことであることは言うまでもありません。
『葬書』に説くところはつぎのようなものである。
「氣(方位)」を看る
第三に氣(方位)とは龍脈の走り来たる方向であるとか、龍穴が向いている方角を羅経盤などで測り、それによって判断するということになります。
「形勢」がともに吉相ならば、その方位は自然に良き配合になるので、方位を測ることはしますが、それは確認のためにするのです。
たとえば、子方から走り来たる龍脈なら「子龍」であり、龍穴の向きが西南の中心あたりなら「艮山坤向」になり、これは吉穴だと判断できるということになります。
本格派の風水家なら、まずその土地の勢をよく観察し、つぶさに形を看てから大局的に吉凶を判定してしまうものです。
そのうえで改めて方位を測り、細かい調整を指示するのです。マクロからミクロという順序で風水は看なければいけません。
だから羅経盤を懐から取り出すのは「形勢」を判断してからのことなのです。