日常生活を綴った鮑先生のコラムです。
『黎明凡庸録』が新しくブログとして生まれ変わりました。
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今日は旧暦八月一日である。『開運風水暦』の来年度版の校正も終わり、9月下旬には発刊のメドが立ったし、息子の風水・道教関連グッズ通販のほうも好調な滑り出しとなった。
来年度版には「指紋占」の決定版を新たに掲載した。これは従来の指紋占の内容を遙かに凌駕するものである。一生変わることのない指紋の配合は32通りあるが、左右の手を計算すれば1024通りの組み合わせにもなるから、巷に溢れる低俗占術よりも信憑性があるはずだ。
それに加えて「姓名易断術」によって今年はどんな年になるかを占う「流年卦」も簡単に検索できるようにした。併せて32頁増やしたため、読み応えがある構成だと密かに自負している。
何だかんだ言っても、例年よりも『開運風水暦』の発刊が早くなったのも、息子の書いた霊符のお陰かも知れない。
学研ムーの通販では申し込みが殺到し、学研本社の移転を祝賀する兆しとなったことにも感謝しなければいけないだろう。それだけ売れ行きが良いということは娑婆世界では困っている人たちが救いを求めていることの証左でもある。いずれにせよ、読者も購買者も何かきっかけを掴み、運気を打開してほしいものだ。
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| 吉祥龍頭 (きっしょうりゅうず) ”吉方用” |
八卦開口獅頭 (はっけかいこうしとう) ”凶方用” |
關羽大将軍立像 (かんうだいしょうぐんりつぞう) |
八卦閉口獅頭 (はっけへいこうしとう) ”凶方用” |
八卦龍頭 (はっけりゅうず) ”吉方用” |
どうした風の吹き回しか?そもそも彼が道教の霊符を書くようになったきっかけは何 だったか?そもそも私が病気で苦しんでいる時に太上老君様からメッセージを貰っ た時に遡る。本来なら命だけは保証するが、手術しないと駄目だと医者から宣告さ れていたのにそれを回避することが出来た。
命を助ける代わりに息子か娘の子供にまでその代償が及ぶだろうといわれて困り 果てていたのだが、何かの拍子に息子を媒介にして神の力が働くようになったので ある。そのため息子は一週間近く体調が優れなかったという。何度かそういう眼に 遇ったらしい。
それは一体どういうことだったのか知るよしもないが、いつの間にか息子は正式に 台湾の道士から弟子にさせてもらい、霊符を書いては気の毒な友人たちに渡してい る。その効果は驚くべきものがあり、自分でも信じられないという。
何度か台湾から、息子に頼まれて道教霊符の本を買ってはきたが、まさか道士に なって霊符をしたためることを本職にするとは思わなかった。息子の親しい霊能力 者たちも、息子が霊符を書くことを止めるどころか、これは凄い効力があるから私も ほしいと言ったと。
かつて台湾の圓善堂にて、済佛様から「過去世で戦をして何千人も殺しているか ら、劫難が深い。弔ってやらなければ今世でその報いを受けるだろう」と言われたこ とが余程、堪えたのかも知れない。
それを少しでも軽くするため、これまで世話になった親友を含め、友人たちを週末に 家に呼んでは手料理を振る舞ったり、困った友人に救いの手を差し伸べているのだ ろう。関帝様が後ろ盾になって下さっているから、できることかもしれないとも思う。
この世にもし大豆が無かったら、どうなるのだろう?恐らく大変なことになる
だろう。大豆に含まれるイソフラボンという成分は高血圧・心筋梗塞などの生活
習慣病のほか、骨粗しょう症の予防にも効能を発揮するだけでなく、長寿の秘密が
隠されているという。
欧米人と比べて日本人はカルシウム摂取不足であるのに、骨粗しょう症が原因で大腿部骨折の発生が半分くらい少ないのは、大豆製品に含まれる大豆イソフラボンにより骨を作る骨芽細胞を増やす働きであると(家森幸男・京都大学名誉教授・国際健康開発研究所長)。
大学生の頃はハンバーグやフライ、焼肉を食べるクラスメイトと違って、納豆に豆腐、豆乳、油揚げ、厚揚げ、ガンモドキ、煮豆、味噌をほとんど欠かさず食べていたのは間違いではなかったと思う。
脂っこい物、カレーやトンカツ、天麩羅等を食べると決まって胃がもたれる体質であることは中学生あたりから自覚していた(皮肉にもこれらは大好きなのだ)。脂っこい物を食べるときは野菜サラダを摂るようにしていたから、サラダを摂る余裕がなければビールや炭酸ソーダでも飲まないと辛かったのである。
それが台湾に遊学して豆乳を毎日、飲むようになって胃の粘膜が強化されたのか、脂っこい物でも、それほど胃もたれしなくなった。原因は亜熱帯気候であること、それと毎食後に果物・デザートを食べるようになったこと。いつも誰かと歓談して笑う回数が増えたことだが、でも何よりも後天運波が有卦に転じた(十八歳から用神が有力になった)ことが大きかったと思う。
台湾では素食の店に入って吃驚したことも忘れられない。大豆をふんだんに使った料理だが、まるで鶏肉や鰻にしか思えないのに食材は大豆のみという見事なものだった。
母は虚血性心疾患で他界した。八十五歳だった。もっと大豆製品を食べさせてあげたかった。後悔先に立たずである。
3月下旬、門下生を伴い台北目指して飛び立った。旅の目的はひとえに霊界探索で
ある。しかし確実に霊界に到達できるという保証はない。「もし一人も到達できなけ
れば、どうするか」と普段の私なら気にする筈なのに今回はどうした風の吹き回し
か、まったく気にならなかったのも妙な話である。
到着した日の晩、私達は玉祖三清殿に林文瑞道士を訪ねた。
林道士はいわば命の恩人である。私の身に巣くっていた陰鬼を浄化して下さらな
かったら、今頃は中風の身であった。この御恩には一生かけても報いたいと思う。
林道士はことのほか、機嫌が良かった。というのも明日(二月十五日)は太上老君の聖
誕祭であるという。夜十一時から子刻になるから「聖誕祭が始まるよ、参加しない
か」と言われ、喜んで参加する。この日、私は初めて林道士が霊媒になる場面を見
た。それもこの日は太上老君を降臨させたのであった。一幕の興奮が過ぎて辞去した
のは二時を過ぎていた。
翌日、挙って無極圓善堂に詣でた。数多の参拝客が押し寄せる中、第一回目は不発に終わった。その間、私は恩師、陳
怡魁老師の使者から取材を受け、席を外していた。が、戻ると状況が一変していた。
何人も霊界に達していたのだった。わけても娘が死んだ父と会ったことが嬉しかっ
た。娘は父が他界して四年後に生まれたから、写真でしか見ていない。観落陰を受ける
前に父の事をふと思い出したら、現れたという。父は私や弟、母の事などみな知って
いたと。
新潟の女性はお城とも宮殿とも見まごう巨大な建造物の中に私の会員や受講生がみ
な生活しているのを目撃し、過去世からの不思議な奇縁で知り合ったと驚いていた。
翌日の無極圓善堂はより熱かった。昨日、到達した人達はより深く自由自在に霊
界探訪を楽しんでいた。奈良の青年は過去世の私が蓮華に乗って現れ、空中を飛びながら彼をあちこちへ案
内したという。現世の私は彼の傍らに居て通訳しているというのに彼が達した霊界に
もう一人の私が現れるとはまさに「時空転換」というべきか。
通訳が使命の私は観落陰を受けられない。霊界の通訳はあくまで媒介なのだ。でも私に代わって私の元神宮(霊界の家)に彼は行ってくれたのである。結局、五人も霊界に到達できた。到達した人もしなかった人も、まだ楽しみがあっ
た。
それは堂主の蘇老師があの有名な濟公活佛様を降臨させて、種々の問いに答えてくれ
るのだ。これを通訳させてもらって感じたのは濟佛様は何もかもお見通しであるとい
うこと。
堂主の蘇老師は大喜びで二度も宴席を設けて私達を歓待して下さったのである。
また機会があれば霊界探訪の旅に行きたいと思う。その時まで圓善堂の蘇老師よ、
また親切で温かなお弟子さん達よ、どうか元気でいて下さいと願うのみである。
すこしでも風水をわかりやすく説くことが大切ではあるが、今の風水ブームをよく分析してみると次の様なことが言えるだろう。
@中国の風水を紹介しているもの。
A中国の風水ではないのに風水と称している。
それは日本流の家相または方位学が実体なのである。特徴としては、
「鬼門・裏鬼門は凶方」、「東南方が誰でも最大吉方」、「生年の九星は男女とも
同じ」などの固定された条件を挙げていることである。
B風水とは関わりのない珍妙な論説を掲げているもの。
風水が良くなるシール、真鍮に金メッキした獅子、四神相応を模した掛け軸など
の偽開運商品を販売しているところなどが挙げられるだろうか。ある会社などは
筆者の名前を断りもせず勝手に盗用している有様で迷惑も甚だしい(無断で名前
を使われたことは一度や二度ではない)。
ちなみに、旧公認ホームページを除いて、私が自分の名前を使用することを許可したことは過去に一度も無い。もし、私の名前を使用しているHP、教室、団体などを発見したら、是非とも当ページにご連絡を頂きたい。その後即刻、然るべき処置をとらせて頂く所存である。鮑黎明の名を語り、濫用し、私腹を肥やす者、「羊頭をかかげて狗肉を売る」ような輩はいずれ自滅の路を歩むであろう。
○肉がなく骨が出ているような腰の人は窮すると事をたくらみ、女性は男性を欺く。
○腰が小さく尖った尻の女性は困窮甚だしい。
○腰・尻に肉が薄いか無いような人は凶。朝に食して夕の食なしといわれ、貧しけ
れば長命だが豊かであれば短命。
○女性で股の肉が無ければ妾面。
○痩せた人で尻に肉が無い人は、四十九歳で災難に遭遇するか薄運。
これらは日本における観相学の第一人者、大阪の石本有孚(ゆうふ)先生の『人相学大全』に記されているのだが、何と、この書を石本先生から贈呈されたとき、自分のすぐ傍にいた女性がこれとピッタリの相だったのだから、人生はわからない。
法華経のあの一節を思い出す。
「雖近而不見」(すいごんにふけん、と読む)。
「近しといえども、しかも見えざらしむ」。つまり、灯台下暗しである。
それも「四十九歳で災難に遭遇するか薄運」と記してあったので吃驚。まさしく数え四十九にして彼女は蹴躓いたのである。
石本老師には感謝の気持ちがこみ上げてくる。御歳八十幾つである。矍鑠たるものだ。大阪に赴いたら、是非とも御挨拶に伺おうと思った。
いつだったか中部地方の会社経営者の方が自宅を訪ねて来た。
五十年輩の小柄な方で才知にあふれ、一代で身の代を築いた人にみられる自信がはっきりと感じられた。順番を待ちソファに腰掛けている間もジッとしていられないようだった。
たまたま彼の前の相談客と筆者との会話を耳にされたようだった。その客の父親が経営する会社の前途を易で占って、「これは閉めるのは時間の問題で○年の○月頃になりますね」と筆者が平然と言ってのけたことに愕然とした様子だった。
その方の番になって私はいつものように穴のあくほど、その人を観察した。会社のパンフレットで見るお姿よりも顔色がすぐれない。全身から感じられる気は憂鬱なものがあった。中国の外遊から戻られたばかりらしく、旅の疲れもあるだろうと感じられた。
その方がおっしゃるには、ある家相研究家の方に相談して建てた家の構造、向き等が私の本に書いてあるのと正反対になるため、気になっているとの話だった。私は中国風水と日本家相との違いを説明し、原理の上からもこうなるのですよ、と理解を求めた。そして、社長さんにとっては先天運気が何歳から何歳までは上昇するけれども、何歳以降は後進に道を譲り、悠々自適な日々を送ったほうがいい等々、お話ししたのである。
しかし、私の目にはその社長さんは大変な自信家で、これまでに努力を重ね、まがりなりにも成功された為に、私のような青二才の言うことに真剣に耳を傾けてはくれないだろうと直感した。
結局、私の話が一通り終わっても、社長さんは帰ろうとせず、もっぱら中国の歴史とか中国関係の話題を持ち出してきた。おそらく私がどれくらい知っているか試そうとされたように思えた。中国史はもともと大好きなので一方的な話では終わらなかったが、いささか閉口した。私も夕食を摂っていなかったし、社長さんにも勧めようと思ったが、とにかく話の間がないくらい、まくし立てられて、とうとう夜の11時か12時を過ぎて、「食事をできればご一緒に如何ですか?」と切り出したら、そそくさと帰られた。まさに6時間にも及ぶ、長時間となったわけである。その社長さんは仕事の行く末があまりはかばかしくないと言われたので、憂さ晴らしに私に討論を挑んだのではないだろうか。
年初から出版企画の話が数件持ち上がったので、今年は忙しくなりそうだ。今、行かなければ行けそうにもないと思い、中華航空で一路、台湾を目指した。ちょうど閏二月朔日だった。
台湾総統選の結果、陳水扁氏が再選を果たしたが、これは予測通りであった。というのも投票日の前日に狙撃されるというアクシデントがあったため、「これは予測しない訳にはいかない」と感じ、その場で鬼谷易により占うと陳水扁氏が再選すると出たのだ。門下生の前で断言した手前、外すわけにはいかなかった。
いつものように龍山寺に詣で、観音様に挨拶し、日本留学生の王君と再会した。懐かしさに顔がほころぶ。出版社の翁社長も大喜びで大盤振る舞い。炒めた田鰻の味が絶品だった。
お世話になった林道士とも逢えた。鴻鈞老祖様にもお目通りできて、九死に一生を得た時の思い出が鮮やかに蘇る。御無沙汰したことを只ただ心で詫びる。
気功大師の余雪鴻氏はスタッフも増え事務所は活況を呈していた。一番弟子の劉君が見違える程、いい男になっていた。美容気功が功を奏したと気づく。余先生は相変わらず、飄々としていた。再会を約して別れる。
三年ぶりの台湾は違っていた。馴染みの書店はどこかへ姿を消し、モノレールMRTは縦横に伸び、世界一の超高層ビル「101」は圧巻であった。
今回は北京・広東・台湾料理を食べたが、直ぐ満腹になった。日本で玄米食を続けていたせいか、あるいは年のせいか。それでも2キロは肥えたようだ。
台湾は私にとって故郷のような処である。時間が許せば、年に二、三回は帰りたいものだ。
テレホン無料相談があちこちにあるせいか、電話をかけてくる読者のなかには、何でも電話で尋ねることができると思い込んでいる人が多い。そして矢継ぎ早に質問してきたり、いきなり自分の悩みを打ち明ける人が多い。また、親切に応対しているとなかなか受話器を置かせてくれなかったりして、忙しいときには煩わしい思いをさせられたことも時々ある。私も著述業のはしくれとして、熱心な読者からの問いかけには、忙しい時でもなるべく電話で回答してきたつもりである。著者と読者との交流も大切だと思っていたわけである。しかしそれも、人により時と場合により、受けるべきか受けざるべきかを判断しなければいけないと今では痛感している。とにかく自分の意志を通すことしか頭にないのだろう。相手の都合などハナから気にかけていない人達が多い。こういう人達が依然、減らないのは困ったものだが、知り合いの女流占術家の先生などはもう電話恐怖症に罹かり、受話器を取るのが怖くなって、とうとう電話番号を変えてしまったのである。もちろん、友人や仕事の関係者にだけは新しい電話番号を知らせておいたらしい。また電話番を助手に委ねて仕事をしていた女流占術家の先生も、厄介な電話が多くて助手が何度も辞めていったとこぼしていた。それも男性週刊誌の読者からの嫌がらせの電話だったり、破廉恥なことを何度も聞かされて閉口したという。彼女達にしてみれば最初は「悩みを打ち明ける人がいないのだわ、可哀想に」と思い、たびたび掛かってきても親切に聞いてあげていたのである。それが毎日、そして四六時中とエスカレートしていったのである。
かつて大変なブームを呼んだ「エニアグラム」の書を、一人になった時、繙くことがある。一仕事終えた時、外出して戻った時、やや疲れて椅子に凭れた時などに本棚から手にするのがエニアグラムの書だったことがある。勿論、今でも時折、仕事の合間に読むこともある。エニアグラムとの出逢いは二十代頃。台湾留学時代に遡るから四半世紀以上前になる。放課後に書店に立ち寄るのが日課だった。長時間立ち読みするから、もう足が棒のようになる。見かねた店員が椅子を貸してくれるようになる。時には飲み物をくれる。となると言葉を交わすようになる。ある日、馴染みの書店で一心不乱に書を漁る私に飲み物をくれた女性店員がこう言った。
「あなたはタイプ6ね。間違いないわ。とても本を選ぶのが慎重だから」
私にとってこの時がエニアグラムと最初の出逢いである。それから、その書店へ足繁く通うことになる。彼女はバツイチのクリスチャンでエニアグラムで再婚相手を探していた。後に台湾在住時代に交際した女性(余暇に心理学研究をしていた)からも同じことを指摘されるが、当時はもっぱら八字・斗数・卜卦・風水の探求に余念が無く、研究するまでに至らなかった。プロファイリング専門のA女史によると、エニアグラムは心理学界ではまだ充分に支持されておらず、占いの簡略化されたものというくらいの評価だそうである。しかし、「ある占術家は出生時不明な人を占うのに使っていてよく当たる」とA女史は言う。カバラ占術の某女史は、エニアグラムはカバラが淵源で、ロシア神秘主義の指導者である、G.I.グルジェフが1920年代にこれをヨーロッパに紹介し、60年代にアメリカに伝わり、研究された。でも原型はカバラの数秘術なのだと。私はユングのタイプ論の応用から、先天八字との融合をかねてより有力視している。
とある中華料理店の風水を看に行く。知人に案内されて、どんな店なのか看たくなったのである。店の風水を看るまでもなく、経営者夫婦の姿を見て「これは難しい」と直感した。若い女将さんは目に涙を溜めて、どうしたら店がうまくいくかと必死に質問して来て、それらの質問にひとつひとつ回答したが、詮無い気がした。まず、店の風水が土台から駄目なのでリフォームしなくてはいけない。しかし資金がない。店の売上は赤字が続いている。その原因は味である。油っこくて、旨味が殺されている。その味を主人は変えようとしない。主人は相当な頑固、いや頑迷といってよい。帰り際に主人と言葉を交わすことが出来た。一目見て、明らかに安眠・熟睡できていないのではと感じた。それも今始まったのではなく、随分長いことではと。主人が言うには、安眠薬を飲まないと眠れないのだと。薬に頼るのではなく、こうしたらどうですかと勧めてみたが、はねつけられた。今日は実に気の重い一日であった。
これはライターのK女史から戴いた渾名である。「リーサルウェポン」というのは「最終兵器」という意味で、有名な映画のタイトルからきている。というのも度重なる失意を体験してきたK女史にとって「鮑先生なら風水で私が結婚できるようにしてくれるかも」という一縷の望みを託す気持ちをこめて、そう私を称したのであろうと思えた。取材の折りに彼女の住まいの平面図を見せられて、決して良き男性とめぐり逢えない風水ではなかったし、寝室と頭の向きを換えれば、望みはあると言ったら、とても嬉しそうにしていたことを覚えている。どんな人でも自信を失ってはいけない。自信がなければ探すことだ。どこかにその人なりの取り柄、長所はあるのだから。もう何年もお会いしていないので彼女の現況は知らないけれども、珍しくライターとして文才のある人だと感心した。その文体はきわめて幽黙(ユーモア)溢れるもので、それが自身に相応しいキャラクターだとこれまでの体験から感得したものだと思われる。もし風水界のリーサルウェポンたらんとするなら一体、何をすべきだろうか?
昨日は何人かの友人をまじえ、気功の金老師達と散会したのが11時半。就寝したのが明け方近くだったのに疲労は感じられない。今日は結婚式に呼ばれた。新橋の馴染みのお客様の御長男が僕の予告通りに33歳でお嫁さんをもらうことになったので母上は大喜び。長身の彼は姉と弟よりも遅く結婚したわけだが、恐らく彼の家では最も楽しく思い出に残る式だったと思う。そう感じさせるくらいに参列者を喜ばせるための気配りの行き届いたプログラムであった。汐留の大開発が始まってビルの風水が壊されるのではないかと憂い顔だった彼の母上にも笑顔が戻った。僕も何度も相談を受ける度に最善を尽くしたつもりだ。まだ汐留地域の大開発工事は続く。新たに道路が敷かれ、ビルが建ち、気の流れが大きく変わることになる。どうなるかはわからないが、最終的に良い結果になることを期待している。
今日はメイが我が家に来てちょうど一年になる。外ニャン(アメリカン・ショートヘアー)だから、メイ。4月に生まれたのに、名前がメイとはこれ如何に。雌だったが、今は中性である。これ程、狼藉の限りを尽くした猫を私は知らない。来て間もない頃、床に煎餅やポップコーン、海苔、チーズに焼き鳥が散らばり、まるで試合が終わった野球場のよう。掃除機が休まない日はなかった。それでも生後三ヶ月ちょっとだったので赤ん坊みたいなものだと大目に見ていた。ところがアガリクス茸を囓り、クロレラを何十粒も食べて吐き出すに及び、もう堪忍袋の緒が切れた。徹底的に結界を張り巡らせ、動きを封じた。それでも食事中に何かのことで中座したりすると、強行突破される。そういう時は胡椒と七味でお仕置きをしてやった。それが今ではめっきり可愛くなった。玄関を開けると「ニャーオ」と言って出迎え、ゴロンと横たわり、足でお腹をさすると前足で足を抱え、後ろ足でキックして喜ぶ姿は憎めないもの。ベランダに居場所を作ってやると毎日、必ずそこに居座り、鳩が来ると威嚇してくれる。どうやら己の仕事と思っているようだ。それにゴキブリは必ず仕留めるし、お客には媚びを売り可愛がられるし、餌はきれいに平らげ、食べ残しはなし。メイの尻尾はジグザグに曲がっている。死んだ叔母の話では、尻尾が曲がっている猫は「福猫」だから大事に育ててあげると家が栄えると。というのは曲がった尻尾でお金を掻き集めるのだそうだ。「招き猫」も迷信ではないと言っていた。叔母は宮崎生まれだが、招き猫が置いてあって繁盛した店があり、一家は和楽で大層栄えた。それを聞いた人が客として店に行く。店内を見渡すと招き猫があった。それが伝わり、招き猫を置くと店が栄えるという噂が広まった、と。これまで二度、猫を飼ったが、確かに家庭は曲がりなりにも円満だった。それが家庭が変動に見舞われたときは猫と生死別するのである。妙なジンクスである。最初の猫とはアクシデントで死別し、次のは賃貸住宅に移り、飼えなくなり人に差し上げた。メイで三匹目になる。メイは大事に育てようと思う。